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  • 2018.04.13 Friday

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    三年峠

    • 2018.04.12 Thursday
    • 23:11

    険しい峠の道を通らなければ行商に出かける村人達は町まで下りる事が出来なかった。

    その長い峠道を重い荷物をかかえ1日かけて村人は行商に向かう。その峠道は長く険しいだけでなく昔からの言い伝えがあった。

    峠で1度でも転んでしまうと3年以内に死んでしまうのだと。転んでしまった者達は皆、それが怖くて家からも出れなくなり結局は皆3年以内に亡くなってしまう。だからこの道を通る時には慌てずゆっくりと慎重に登りそして降りたらしい。そしていつからか、この峠道の事を3年峠と呼ぶようになった。これは韓国の昔話で親が子供に読み聞かせる話らしい。

     

    先週末ゴルフ仲間のKから「来週の土曜日一緒にどうですか」とゴルフの誘いを受けた。

    Kとは今所属しているIゴルフ倶楽部で2,3年前に出会い話すようになった。

    Kは私より5つ程若いのだがどこか物怖じしないゴルフをし、ゴルフ場ではいつもカートに乗り競馬新聞を読んでいる姿が可笑しかった。

    短髪で日焼けしている姿は少し場違いな感じさえしたが何故だかKとはすぐに仲良くなる事が出来た。

    Kと始めて話をしたのはゴルフ終わりのサウナの中で、見た目とは違い人懐っこい目をしていると男だと思った。

    少し話すうちに競馬が好きなのかと問うと馬の事は全くわからないのだと言う。

    しかも人気予想の馬ではなく人気の無い馬をあえてそろえて競馬をしているのだと笑っている。

    きっとギャンブルで勝つ喜びよりも、ちゃんとギャンブルを楽しむ事を知っているから出来るのだろう。

    何度か一緒に酒を呑むようになってkの周りにいる人間が何故Kを慕うのかが少し解る気がした。

    Kはいつも遊びに真剣なのだ。

    私は先月もKからの誘いを野暮用で断っていたことが気になっていたから、土曜のゴルフの約束をしてわかれた。

    木曜日になりKから土曜日のスタート時間を知らせるメールが入り私は約束をしていた事を思い出した。

    「しまった」又約束を忘れていた・・

    仕事の約束なら平気でキャンセルするのだが、遊びの約束は破りたくない。

    まだ木曜日だから行けばいいだけなのだが、私は今週スケジュールが空いていた事もあり数日前からここ数年正月時期に滞在する温泉街にふらりと来ていた。

    この温泉街は品川から新幹線ならば小一時間程度の場所なのだが、埼玉にあるIゴルフ場に電車を乗り継ぐとなると、やはり3時間弱はかかるだろう。

    しかも昨夜、温泉街の遊び人Mちゃんと金曜日の夜に1杯やる約束までしてしまっている。

    Kにそれとなく他のメンバーのゴルフの参加具合を問うと、これがまた運悪く誘った者、皆が日曜日に控えている3大競技の1つ。「理事長杯」という倶楽部主催の競技予選に参加するために流石に前日は身体を休めているらしい。

    私もこれを理由にKにメールしようかとも思ったのだが身体を休めているのは殆どが予選を突破し本選に進む実力者達であって冷やかし出場の私がこれを言っても説得力がなさすぎる。

    私は昨年も、一昨年もこの「理事長杯」予選の前日にゴルフをしている。

    何故そんな事を覚えているのかというと、土曜日にゴルフをしていて今日はやけに知った顔の人間に合わないなと思っていたら同行していたキャディさんが「土田さんは明日の予選にはでれないんでしたっけ」と言われ、競技とはそんなものなのかと思ったことを覚えているからだ。

    それでも翌年も同じ事をキャディさんから聞いて「もう1年が経ったのか」と時間の速さに驚いた事も覚えている。

     

    金曜の夜、私は温泉街のスナックでカラオケを唄いながらKから来ていたメールを見直してみる。

    スタートは8時30分か。まだ7時間はあるな・・8時にはゴルフ場に到着していなければならないから出発は5時頃で大丈夫だろう。まだ呑めるな(笑)

    結局私は温泉街の遊び場で夜明け近くを迎えMちゃんに後ろ髪をひかれながら東京方面の電車に乗る事にした。

    駅に向かうタクシーの中で吐き気を模様しトイレに駆け込むが何も出てはこない。

    あの店の酒,なんか悪いものでも入ってたかな・・こんな時は裏技を使うしかない。

    コンビニに入り、缶ビールと焼酎を買った。

    人の少ない電車内のなるべく目立たない席を陣取り缶ビールを2本程呑んだ辺りで体調が戻ってきた。殆どアル中だな(笑)

    都会に近づくにつれ少しづつ人が増え始める。土曜日だというのにサラリーマン風の姿も見える。

    みんな一体何処に行くのだろう・・会社か。

    小田原を過ぎた辺りで女子高生(だと思うだけだが)2人組なんかも乗ってきて何だか楽しくなってきてしまった。

    眩しいほどの若さを持つ女子高生の瞳が美しい。

    車窓から見える風景と女子高生を交互に見ながら焼酎の缶を開けた辺りで美しい瞳だったはずの少女達の視線を感じた。

    先程まであんなに美しかった瞳が鬼のように恐ろしくなった。

    朝から電車で焼酎を呑むオッサンを見るのは始めてなのだろうか?

    聞いてみょうかとも思ったがやめた・・将来こんな人と結婚なんかしちゃ駄目ですよ〜。今の子はみんな賢いからする訳ないか。

     

    ようやくゴルフ場に到着した時にはスタート時間10分前で着替えを済ませカートに向かう。

    素晴らしい。計画通りだ。ちゃんと着いた。

    こういうのを人生設計というのだろうな。

    祝いに、買い余っていた酎ハイでKと乾杯をする。S君も一緒らしい。それではS君とも乾杯をしようかと思ったがやんわりと断られた。真面目なのねアハハ

    よし今日はS君に酔拳の恐ろしさを教えてあげよう・・午前中はKとS君がせる形で私は5打ほど遅れを取る形で終了。

    しょうがないからと食堂でKとビールで乾杯をした。50分ほどのインターバルで午後のスタートホールに向かう。

    午前中はまだ地面が揺れていたから、午後のラウンドでこの2人をやっつける事を誓って、前の組が打ち終わるまで素振りでもしようとドライバーを振った途端に足がもつれてひっくり返った。

    「何やってんすか」Kの声が聞こえたがおじさんは立ち上がれない。

    靴と靴下を脱ぐと左足首がみるみる腫れあがってきている。

    痛みはさほどないが少し足首をくじいたのかもしれない。

    同行してくれていたキャディさんがマーシャルに連絡をしてくれてすぐに迎えがやってきた。

    やった・・これで午後の負けはなくなった

     

    「骨折ですね」よく知る女医の先生が静かに看護師さんに言っている。

    「明日、理事長杯の予選なんですが出れますかね」笑いながら私が問うと先生は私を見ることもせず「何の?」

    「いや、だからゴルフの・・」

    私は松葉杖を渡されタクシーに乗って自宅に戻った。

     

    それから9日間松葉杖を使い家の中をウロウロとし、不自由な生活を送っている。

    確か7,8年前にも六本木っの飲み屋でひっくり返って肘を骨折した。その時はギプスを5日で自分で外し結果完治するのに2年近くもかかてしまった。理事長杯の行われる朝、私はぼんやりと窓から空を眺めながら嵐でも吹けば良いのにと願っていた。アハハ

    少しおとなしくしていろと云うことなのだろうか。

    松葉杖をついた普段はいないオッサンが家にいる事が珍しいのかつい最近9つになったばかりの娘が、一緒にテレビなんか見ていると時々私をじっと見ている視線に気づく。年頃になってきたのかな(早熟すぎるけど)

    最近私の白い髭を剃れと言ったりなんかもする。

    今年の夏に海の家のじいさんが「お嬢ちゃんジイジと一緒でいいね」なんて言われた時に彼女は私とじいさんを交互に睨んでいた。

    きっと彼女の友達の父親たちは皆、爽やかで若さがまだ溢れている働き盛りなのだろう。少なくともおじいちゃんに間違えられる事はないだろう。彼女なりに傷ついたのだろうな・・

    とりあえず海の家のじいさんの首でも絞めてやろうかと思ったが、

    また彼女の前でもめ事を起こすと後で説教されることになるのでやめた。

     

    私は娘がどんな友達と遊んでいるのか、娘のクラスが何組なのか、担任の先生が誰なのかさえも知らない。ダメな父親で申し訳なく思う事がある。

    幼稚園の頃から、朝方帰って来て玄関で倒れている酔っ払いを何も見えていないかのように「行ってきます」と明るくまたいで登園して行った。たくましい。親は無くても子は育っている事を痛感させられる。

     

    「パパ、でも大丈夫よ安心して。3年峠で転んだ人達はみんな1度しか転んでいないから3年しか生きれないの。10回転べば30年は生きれるはずよ」

    先程まで私の耳元で三年峠を読み聞かせてくれていた少女は、もう寝息を立てて私のベッドで眠ってしまっている。

     

     

     

    40年前の夢

    • 2018.03.05 Monday
    • 16:22

    おかしな夢を見た。時計を見ると4時少し前で私は普段大体この時間には目が覚めてしまう。

    リビングに行きコーヒーを啜りながらぼんやりと窓から見える街並みを見ている。

    この時間に起きていると外はまだほの暗く殆どの家の灯りが消えている。街が眠っているように感じる瞬間でやがて登るであろう太陽を見る事も日課になる。(完全にじいちゃん化してるな・・)

    良い事もある。毎日少しづつ太陽が昇る時間が変わり最近は早くなって来ている事が解る。

    小一時間も経てば車の音や人の喧騒がし始めるのだが、その前の時間が止まっているような街並みを見ながらさっきまで見ていた夢を思い出してみる。誰かの小さな手がちぎられた紙に私の名前をゆっくりと書いている夢だった。


    「おまえがこのクラスで1番嫌われてるんじゃ」

    大声で叫び笑いながらTが私を追い越して行く。「こんなブスばっかりのクラスの女なんかどうでもいいんじゃ」と私はTに続いて昼休みの校庭に向かう。

     

    私は小学生時代からどこかおかしな子供で一体何の為に学校に行くのかも解らず、親や教師達を困らせた。

    母親などは本気で心配して今で言う精神診療内科に私を連れて行ったりもしたらしい。

    学校に向かう途中一人河原に行ってしまったり、学校に行くと出かけ近くの山に登っては虫たちを眺めて野球の練習が始まる夕方までの1日をぼんやりと過ごしたりもしていた。

    もちろんそれを見つけられて身体が飛んでいく程の力で父親にも担任の教師にもよく殴られていた。

    それでも少年は「喉元過ぎれば熱さ忘れる」で田んぼの中に全ての教科書を捨て、変わりに田んぼで捕まえたザリガニを(私の田舎ではザッピンという)ランドセルの中一杯に詰めて帰った事もある。

    祖母は「早くお風呂に入りねぇ」と笑いながら優しく体を拭いてくれた。が、それを知った父親の怒りは大変なもので、顔が腫れるほど殴り蹴られ「今すぐ教科書拾ってこい」と家からパンツ1枚で放り出され暗くなったあぜ道を懐中電灯を持った祖母と2人教科書を探しに行った事もある。

    それでも私は田んぼで泣くカエルの事が気になってそれを捕まえようとまた泥だらけになった事を覚えている。

     

    クラス替えのあった小学5年の時、クラスの女子達が「クラスで1番嫌いな男子と人気の男子」と名を打って投票を行いそれを昼休みの教室で黒板に書き出し発表しだした事があった。

    興味の無い私は校庭に野球の練習に出かけたが悪ガキのTは1度出た教室にそっと戻り扉の隙間からその様子を伺っていたらしい。私が通っていた小学校は市内でも人数の多い学校で丙午の私達の年度でさえも6クラス程ありクラスには47,8名の子供達がいた。男女ともに23,4名がいた事になる。

    この年齢の女子は幼児でもなく大人でもない独特な感性と残酷さがあり、授業終わりのホームルームというのだろうか?担任の教師が連絡事項や宿題などのチェックを行うような事をしている時に「今日Mさんが授業中、教科書に絵を書いてあそんでいました」と担任の教師に告げ口をするような事が日課で大概それを発表するのは活発な女子、ターゲットもまた決まって同性の大人しい女子だった。

    言われた方は真っ赤な顔をしてうつむき只時間が過ぎるのを待つしかなかっただろう。

    子供心に残酷な事だと思っていた。これはどこかの国で今現在も行われている洗脳の習慣と似ている。

    だから言われた女子はもちろん、その日は言われなかった女子も活発な女子の顔色を伺う事が子供社会の中でも出来上がり、女子達はみな活発な女子のグループには逆らえなかった。

    私はその活発な女子のリーダー的な存在のM美を苛めた。正義感とかではなく只腹が立ち、目が合えば殴りすれ違ちがいざまには蹴りを入れ酷い言葉を浴びせたりもした。気の強いM美はそれでもひるまず担任の教師に告発状なるものまで作り、それを見た担任の教師は私の理由など聞かず皆の前で私を引きずったりビンタしたりした。今では考えられないだろうがこれは事実でまたそんな時代だった。

    何度教師に殴られても私はM美を苛める事を止めなかった。

    私は1度M美が授業中に仲間の女子に渡す手紙を回していた事をこの時間に皆の前で発表した。発表した途端、クラスの空気が凍り付き担任の教師は何事もなかったかのように私の発表を無視し「他になければ終わるが・・」と言った。

     

    ある日M美はH子の事も例のホームルームで吊し上げH子は泣きそうな顔で下を向きその時間を耐えていた。

    その横顔を私はぼんやりと見ていた。

    それでもH子もすぐにM美達のグループに入り端っこで気を使いながら笑っているように見えた。

    私はH子の事が好きだった。控えめだが良く笑うH子とは殆ど話すこともなくたまに話しかけられても無視をしたり、悪態をついたりしていたのでH子は私が思いを寄せている事など知るはずもなかったのだが。

    同じ少年野球チームに所属していた悪ガキTがクラスの女子の殆どが私に「嫌い」で投票していた事を練習終わりに立ち寄った駄菓子屋のベンチで笑いながら話してくれるのをアイスを食べながら聞いた。

    私の票は正しいと言う字が3つ並んでいたらしいから15票か・・クラスの殆どの女子に嫌われていた事になる(笑)

    後は2票が2人1票づつが5人。負け惜しみではなく1票でも2票でも票が入った男子が私は気の毒だと思った。

    「嫌い」に票が入った男子の名前を聞くと私を含めてどれも皆勉強の出来ない者ばかりだった。

    「好き」の方は数が割れてはいたが、クラスで勉強の出来る老舗呉服屋の息子Kが1位だったらしい。私も穏やかで勉強の出来るKならば女子達に人気があるのも解るような気がした。

    女性は子供でも社会適応能力を持ち合わせた賢い男について行く事が幸せだと言う事をこの時分から本能で察しているのだろう。

     

    私は幼い頃の事を何故か鮮明に覚えている。今月で51になるのだから、もう40年以上前の記憶なのだがくだらない事ほどよく覚えている。最近ではゴルフ場で1つ2つ前に自分が打ったボールの記憶でさえ曖昧なのに・・

    執念深いのか昔の事は何故か忘れない(笑)

    野球の練習中に悪ガキTがわざわざ耳元まで言いに来た「そいえば、おまえ好きも1票入ってたんやで」にセンターの後ろでボールが来るのを待ちながら私はぼんやりと考えていた。

    「嫌い」の15票など私にはどうでもよかったがH子は誰に「嫌い」の票を入れたのだろうか・・

    「好き」になどH子が私を選ぶはずなど無いことは解っていたが、せめてH子だけには嫌われたくないと少年はグローブを見ながら思っていた。

     

    おかしな夢を見た・・

     

     

    アンデルセン

    • 2017.12.15 Friday
    • 13:42

    師走も10日を過ぎたからだろうか、朝外へ出て深呼吸をすると多少だが胸の辺りが痛む気がする。20年程前に風邪をこじらせて寒さを和らげる為にサウナに行き呼吸困難になり病院に運ばれた事があった。そしてそのまま20日程入院させられてしまった。重度の肺炎と診断された。

    サウナにいた理由を担当医に説明すると、今時ここまで肺炎を悪化させる人は珍しいと私より若いであろう医師が笑っていた。一体何が可笑しいのか怒鳴ってやろうかとも思ったが止まらない咳におじさんは呼吸をするのがやっとで看護婦(今は看護師か)さんが悔し涙を拭いてくれていた。

    咳は4、5日で止まった。するとすぐに禁止されている病室で煙草を吸い始め、また咳込むの繰り返しで結果入院が長引いてしまった。

    11月に入ると急に気温が下がるせいか、肺炎の時に痛んだ場所(肺だろうな)が毎年痛むようになってから、元々得意ではなかった寒い場所が更に苦手になりいつからか寒い場所には出かけなくなった。

     

    私が住む町の駅のすぐ前のビルの2階に古い喫茶店がある。童話に出てくるような店名で、今時珍しく禁煙席もなく、というより愛煙者達の憩いの場所のような店で入ったとたん火事かと思うほどに煙が充満している(笑)壁は一体何色だったのだろうかと思うほど美しいヤニ色でお客もやはり年配者が多い。だから人との待ち合わせにはこの場所を使うことが少ない。

    勿論相手が喫煙者であれば別なのだが。最近では街中で煙草を吸っていても怖いおばさん達に睨まれるからおちおち街中で煙草もすえない。若者も(特に男性)喫煙をする人が少ないと感じるのは気のせいだろうか。

    私達が少年の頃は煙草が吸えて始めて1人前の男だと思っていたから少年たちは咳込みながら大人のふりをして煙草を覚えた。

    勿論私も今となっては今更わざわざ煙草を吸わない人が覚える必要などないとは思うが、身体に悪いからと禁煙をする若者もなんだか物分かりが良すぎて気持ちが悪いと思ってしまう。

    そのうちに映画や小説の世界でも煙草を吸う描写が無くなっていくのだろうな・・既に銀行強盗をした犯人さえもきちんとシートベルトをしてから車を走り出させて逃げるのだから(笑)

    私は35年以上喫煙を続けているが人の吸っている煙草の匂いが苦手だ。時々それを人に話すと滅茶苦茶だと言われる。私も滅茶苦茶だと思うが嫌いなものはしょがない。だから、時々この店に訪れても一番奥の狭いテーブルに座る事が多い。

    店の空調のせいなのかこの席は吐いた煙が自分とは逆の方向に流れていく。だからおのずと人の吐いた煙も自分の方向に来ない気がするのである。

     

    先日この店でぼんやりと本を読んでいると、すぐ斜め前の席にこの店ではあまり見ないタイプの女性が座った。

    まあ単に喫煙をしない感じの女性と思うのは私の勝手な主観ではあるが。

    私はその女性に前に何処かで会っているような気がした。気がしたがすぐにそれは違うとも思った。

    中学時代に学校で人気があったY子にどこか似ているのだ。先日、故郷の同級生とゴルフをしている時にY子の名前が彼から出た。どうしているのだろうと言う私の質問の答えにはなってはいなかったが、「Y子の事はみんな好きだったよな」という話に、そうだったんだと改めて思った。

    私はY子と同じクラスにもなった事がなかったし、殆ど口もきいた事がない。

    35年以上前の記憶だからあまり当てにはならないが、大きな真っすぐな目をしたY子とやさぐれた少年にはどこにも共通点がなかった事だけは確かだ。

     

    私は女性の年齢がよく解らないのだが、多分まだ22、3歳前後くらいだろうか。

    肩までの真っすぐな黒い髪とキャラクターが文字盤に描かれている様な白い腕時計が、私には女性がまだ学生のようにも見えた。

    外から来た寒さのせいなのだろう、殆ど化粧をしていないように見える頬が紅く染まってみえる。

    ここまで走って来たのだろうか、肩で息をしている。女性は店内を見回しながら席に着くと、すぐに立ち上がり忘れていた事を思い出したようにアイボリー色のコートを脱いだ。それをきちんとたたみながら大きな瞳で店内をもう一度見回している。

    たたんだコートを自分の膝の上に置いた。深い緑色のスカートと白いブラウス、ベージュのカーディガンそして女子高生が就職活動をする時に履くような底の低い黒い靴を履いている。

    私は勝手にこの女性が次にするであろう行動を想像していた。携帯電話を取り出して一心不乱にピコピコと始める事。

    あるいは手鏡を取り出し前髪を直し始める事を。しかし女性はそのどちらでもなく、大きな瞳で誰も座っていない向かいの席の一点を見つめている。その瞳が何故だか私には怯えているようにも見えた。

    女性が1度だけ視線を外したのは店員が注文を取りに来ると店員の目を見ながら何かを注文し店員に頭を下げた時だけだった。

    私はこの女性が一体どんな人を待っているのかと考えていた。もしかしたら同じ位の女友達が来て、憑き物でも取れたようにこの世代の女子らしく声を出して笑いだすのかもしれない。

    女性が注文した飲み物が届くともう一度店員に頭を下げた時に、店のドアーに付いている鈴のような物が鳴った。

    入って来たのは25,6歳のホストでもやっていそうな前髪が妙に真っすぐに伸びて顔を隠すほどの長さの男で、私は女性の待つ相手ではないように思えた。女性は鈴の音がしてもそちらの方には振り向かず1点を見つめている。

    男は店内を見回すと私の方に歩いてきた。私は一瞬、男と目が合った気がした。

    そして何故だか解らないが私は自分が身構えている事を感じていた。

    男は私の近くまで来ると女性のテーブルの前に立ち、女性に何かを話しかけ女性の前に座った。

    男は飲み物を注文すると目の前には誰もいないかのように煙草をくわえ携帯電話をいじり始めている。

    黙っていた女性が申し訳なさそうに小声で男に何かを話しかけると男は自分の携帯電話と女性を交互に見ながら面倒くさそうに何かを答えている。年齢から見て、親子ではあるまい。兄妹なのかとも思ったがそれならば、もっと対等に目線を合わせるであろう。

    恋人同士なのか・・男は携帯電話の画面を見たまま、女性はその男の姿をじっと見たまま時間が経過している。

    女性の瞳から大きな涙が落ちた。女性は慌ててそれを指で拭いカバンの中から薄いピンク色のハンカチを取り出し目頭を押さえるように下を向いている。男は女性の涙する姿を一瞬は確認したが、またすぐに携帯電話の画面をいじり始める。

    この2人の共通の誰かが不幸にあったのかもしれないが、携帯電話をいじりながらついた男のため息で、それでは無いように私には思えた。

    涙だけではなく鼻水が出るのか女性は先程のカバンから小さな薄ピンクの布のような物を取り出した。

    それはハンカチではなく、小さなティシュケースで、ティシュを取り出す所に白いレースのような物が編み込んであった。

    この女性は薄いピンク色が好きなのだろうか・・

    目の前の男から見えないようにしたいのだろう穂を垂れるように頭を下げ鼻水を拭いている。

    それを何度も折り返しそして小さくなったティシュを自分のカーディガンのポケットに入れた。

    使用したティシュをテーブルには置かずポケットにしまう姿が私には何故だか切なく見えた。

    暫くすると男は「もういい?」と始めて私にも聞こえる声で彼女に言うと携帯電話を自分のコートに入れ立ち上がった。

    男は女性の方を見もせず横を通り過ぎ、すたすたと店の出口の方に歩き出す。そして電話でも入ったのか今しがたポケットにしまった携帯電話を見ながら店を出ていった。

     

    男が去った後、女性はまた同じように誰も座っていない目の前の椅子を見ていた。

    先程と違うのはその大きな瞳から大粒の涙が流れている。彼女の瞳は何かを決めた人間がするような目に私には見えた。

    5分程経っただろうか。

    女性は1度ゆっくりと目を閉じ、もう1度涙を拭うと口も付けていない自分の目の前の飲み物と、男が放り出したグラスとストローをテーブルの中央に寄せ、男の座っていた側に置かれていた伝票を手に取りカバンから財布を取り出し静かに席を立った。

    取り出した財布もやはり薄いピンク色だった・・

    コートのボタンを丁寧にかける細い指先が少し赤らんでいる様に見えた。自分の座っていた席の椅子をきちんと元に戻している時の姿勢の美しさが彼女の人柄を物語っているように思えた。彼女は店の出口近くにある会計に向かう。

    レジの横にはクリスマスツリーが申し訳なさそうに点滅している。

    きっと2人分の飲み物代金を彼女が支払うのだろう。

     

    この2人に一体何があったのかは解らないが、女性の今の悲しみがいつかこれで良かった事だと思えるようになる日が来て欲しいと心から思った。

     

    華やかなクリスマスのイルミネーションがこの店の窓からも見える。

    人生、生きていれば殆どが思いどおりにはいかず、それが年を重ねる事に実感に変わる。

    いちいち口にはしないだけで皆それぞれに色々な事があるのだろう。

    Y子にもそしてこの女性にも素敵なクリスマスが来れば良い。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    黒川村

    • 2017.11.13 Monday
    • 13:20

    今朝は腰痛の具合が少し良い。長年患っているせいか目を覚ました時に腰から背中にかけての張りの具合で今日の調子が解るようになってきた。今日は秋晴れなのであろう。それでも調子に乗っていきなり起き上がったりすると酷いことになったりするから厄介である。そっと身体を横にしてからゆっくりと起き上がっている自分の姿を見ると完全に老人化している。

    今朝はいつもより遅い起床で、目覚ましを見たら5時を少し過ぎた時間だった。ここ連日、銀行やら法人会やらのゴルフコンペが続き、さすがに身体も疲れたのであろう。少しでも長い時間眠れた事に安心する。若い時には飛行機に乗る時間に起きる事など普通だったし、嫌な事は寝て忘れていたのに・・夜明け前のほの暗いアパートのベランダに出てみると、まだ街は眠っているのか空気が貼りついている感じがする。私はこの凛とした朝の空気が嫌いではない。

    時々東南アジアなどに旅行などで行くと朝の空気が生暖かくてガッカリしてしまう事がある。私は田舎に育ったせいか朝、顔を洗う時の水がぬるいのも苦手で、冷たくない水で顔を洗った日は何だか1日顔を洗った気がしない。習慣とはそんなものなのだろう。ベランダの椅子に腰かけ医者に止められているコーヒーを飲みながら、医者に止められている煙草を吸う。(止めた事になってますが)これが暖かい季節になるとビールにもなったりもする。完全にダメ人間ですね。アハハ

    私の最も苦手な月。11月も気づけば半分近くが過ぎようとしている。そして45日も経てば又今年が終わる。

    と云っても世の中が勝手に年号を変えて騒いでいるだけで私自身は何も変わりはしないし終わりも始まりもしないのだが。だから幼少の頃から母親に「あなたにはケジメがない」と言われ続けているのだろうか・・

    今年も考えてみれば色々な不義理ばかりをして逢いたいと思っている人には会えず、さして逢いたくもない相手との約束ばかりがスケジュール帳に書き込まれている。会食という名の付いた食事をしながら目の前の禿げたおっさんが自社の商品を説明している姿を焼き鳥を食べながらぼんやりと見ていると、本当はこの人も早く帰りたいんだろうなぁなんて思ったりもする。

    「そんな事どうでもいいから早く綺麗なお姉ちゃんがいる店に行こうよ」

    って言ったらこの人、一体どんな顔するのかしら。アハハ

     

    私は仮に予定を立てていても(基本は無計画ですが)殆どの事がその通りいかないのは子供の時分からなのだが、半年ほど前から少し気になっている事がある。今月中にとか今年中にとか、時間の制限をする話ではないのだが、黒川村に行きたいと思っている。黒川村は新潟県の北東にある町でのどかな美しい村である。渓谷沿いの山々にある木々はもう紅葉が色づいているのだろうな。

     

    20数年前黒川村にあるYのお宅に始めてあげて頂いた時、水道の水が冷たい事に驚いた。私がその事をYの母上に問うと

    「井戸水ですから冷たいのですかね・・私達はこれが普通になってしまっていますから」

    と優しい笑顔で答えられていた。

    一緒に出かけた近所の鮨屋でもやはり冷たい水で私は手を洗った。

    Yは18歳になるまでこの美しい村でどんな少年時代を過ごしたのだろうか・・私が知るYは何に対しても警戒心を持ちどこか都会ぶった話し方で鋭い目をし嘘ぶいていた気がする。そんなYが時折見せるあどけない少年のような美しい目の理由がなんだか少し解った気がした。

    少年時代のYは西瓜やトマトをこの家の前の川で冷やして食べていたのだろうか。夏は釣りや川遊びも出来るだろうし、これだけ美しい水なのだから沢山の蛍も来るはずだ。

     

    私はYが東京に住んでいた時に池袋のバイト先で出会い、当時私が23、4でYが二十歳前後だったと思う。

    時間だけが有り余っていた私達は数年間という時を殆ど毎日のように一緒に過ごした。過ごしたと言っても毎日朝からビールを呑み、開店時間になればパチンコ屋に行き、金がなくなれば朝まで麻雀を打ち続けていたのだが。もちろん金も持たずに麻雀を打つのだから終わるのはどちらかが勝つまでか、チャラに戻すまでしか方法はなく今思えば若さゆえでは済まされない事をしていたのだと思う(笑)
    それでも金が無くなるとYの妹さんの所に2人で出かけ適当な事を言って彼女の1月分のバイト代を騙しとった事もあった。

    当時の私達はとにかくどちらかの金が少しでもあれば、それがなくなるまで酒を呑んでいた。いつも通っていた雀荘のおやじが経営するボロ居酒屋で(失礼)餃子とビールで空腹を満たし、挙句金も払わず店を飛び出したりもした。(殆ど犯罪ですね)忘れた頃におやじの雀荘に行くと麻雀の支払い伝票にしっかりと餃子とビールが付いていて驚いたりした・・もしかして防犯カメラでも付いていたのだろうか(笑)

    金が無くてYの家で深夜にテレビを見ていた時、Yが寝ている事をいい事に勝手に色んなものをYの住所で注文し、そして翌日届いたものはしょうがないからとYに金を払わせ、私はその足で届いた商品を売りに行ったりもした。本当に滅茶苦茶ですね。アハハ

    それでもYは少しだけ年上のこんな私をいつもどこかで気遣ってくれていた。

    池袋の餃子屋で些細なことで隣のサラリーマンと揉め事になった時にも身体の大きなYは2人を相手に必至で私を守るように、そして一番暴れていたな(笑)

    「喧嘩じゃ負けた事ないですから」

    呑むとよくYは口にしていた。し、ラグビー選手のような体格からか相手が気後れをしたのかも知れないが私が見ただけでもYは1度も本当に負けた事がなかった。それでも子供の様にお茶目な所がありYは私達バイト仲間の人気者だった。

     

    私が今の成業を始めたばかりの頃、Yもやっとやりがいのある会社に就職をしたんだと大手の企業に遅ればせながら新入社員として勤め始めた。暫くすると仕事が上手く行かないのだと、会社の中で孤立しているのだとYは笑いながら話していたが、私はYの会社での話など興味がなく「嫌ならやめろ。やるなら我慢しろ」と自分の仕事の疲れやうっぷんをYにぶつけるように只解ったような事を先輩面をしてYの事を詰ったりした。

    大きな連休が終わった次の日曜の夜に共通の友人から電話が入った。

    「今日Yが死んだよ」

    その時の会話はそれしか覚えていない。在京のプロ野球球団が持つドーム型の野球場近くのホテルでYは自らこの世を去った。

    その4、5日前に私のアパートに泊まった時のYはいつもと何も変わらなかったように私には見えた。

    正確に言うと、商売を始めたばかりで必死だった私は日々の仕事に肉体的にも精神的にも疲れ果てていてYの話などどうでもよかったのだ。話半分に聞いていて私はテレビを見ながら眠ってしまい朝起きた時にはYのパジャマにと貸したTシャツがきちんとたたまれていた事を覚えている。

    葬儀の時にYの母上から聞いて驚いたのは、Yは東京を離れ故郷である黒川村に帰る事を決めていたとの事だった。日曜の朝Yはその事を母上と電話で話しその事を私に伝えに行くと言って電話を切ったらしい。しかしYはその日私の所には来なかった。

     

    少年時代のYはとても大人しく末っ子特有の甘えん坊で、優しい少年だった事を母上が話しておられた。他の子供達よりも身体が大きい分喧嘩に駆り出されても相手を殴る事すら出来なかったらしい。

    Yは一体何に悩んでいたのか、何がYをそうさせたのかは愚問でありYにしか知りえない事なのだろう。

    そしてYは何ひとつ持たずに次の旅所に向かった。私はこの時から金に振り回されて生きる事をやめようと決めた。

    私は五十路を過ぎ、Yが生きていれば45はとうに過ぎたのだろう。ここ数年Yが眠る乙宝寺にも私は行っていない。

    笑顔が可愛いOにも、一緒にゴルフの約束をしていたE、いつも酔っ払いの私を面倒見てくれたGのママ、不良の鏡みたいなTちん、故郷に眠る祖母の墓にも・・自分が情けなくなる。

     

    Yの故郷である黒川村は10数年前に町の統合か何かで胎内市と名前が変わった。

    胎内市か・・きっと末っ子で甘えん坊のYは母上のお腹の中に戻っていったのだろうな。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    神様の事

    • 2017.10.11 Wednesday
    • 14:53

    ゴルフクラブを初めて握ったのはもうどれくらい前になるのだろうか・・

    と云っても25年程前芝公園にあったゴルフ練習場の貸クラブを勝手に振り回してみただけの話だが。

     

    「りょうじ、おまえにこのクラブをあげるよ」

    当時、今とは違う成業で生きて行こうとしていた私は、自分では生活する事さえ出来ずTさんが役員を務める

    会社に身を置き1年の殆ど時間をTさんと共にし面倒を見て頂いていた。

    右も左も解らない田舎の青年は遅刻から始まり現場に行けば揉め事を起こす問題児であった。

    それでもTさんはどこか穏やかな表情で私の勝手を見ていてくれたような気がする。

    私の誕生日の前日にTさんのご自宅車庫に並べられていたゴルフバッグの中から1つの大きな新品のキャデイバッグを

    Tさんは私の前に差し出した。

     

    「いつか自分のお金でゴルフが出来る日が来た時にこのクラブを使いなさい。誰が見ても恥ずかしくは無いクラブだから。それまでは辛抱だよ」

    と云うような事を言われた事を覚えている。明日の飯代がない青年にとって目の前にあるピカピカに光ったゴルフクラブが一体今の生活の何の役にたつのかが理解できなかった。

    ベンホーガンだかハルクホーガンだか解らない10数本のクラブが入った重いキャディバックを担いで青年は3畳一間のアパートに帰った事を覚えている。

    その日からカビ臭いだけの殺伐とした私のアパートは更に狭くなったのだが、部屋に帰るたびにそれまでには嗅いだことの無い重厚な革の匂いが何故だか嬉しかった。

    それから間もなくしてゴルフバックは私の部屋から出て行き、そして私の手元には数十万円の現金が入ってきた。

    ゴルフ屋のおっさん悪い顔して笑ってたな・・アハハ

    数年たったある日突然Tさんがハルクホーガンの事を思い出し練習に行くから持って来いと言い出した。

    突然思い出すのはTさんの悪い癖なんです(笑)

    私は慌ててゴルフ屋に駆け込みハルクホーガンを探した。いくつかの店を探し見つけたのは高価なものばかりで、結局持ち金をはたいて買えたのは錆びつき古ぼけた汚いアイアン1本だった。

    Tさんが待つ練習場に向かう電車の中で、練習をしすぎたらこんな風になってしまいました。しかも十数本が1本に・・と言えば何とかなる事を信じてクラブを握りしめていた。

    ・・・ならなかった。普段温厚なTさんがこの時だけは青筋を立てて大声で怒鳴ってらっしゃいました(笑)

    やっぱり覚えてたのね。

    それでもTさんは時々だがこんなポンコツな私をゴルフ場に連れて行って下さり、クラブハウスでのマナーやコースから眺める四季折々に変わる美しい景色を私に教えてくれた。

    ゴルフシューズを買いなさいと頂いたお金も何故だか消えてしまい、しょうがないので成人式に履いた革靴でプレーしていたらそれに気付いたTさんに真っ赤な顔をして叱られた事もある。革靴は芝の上だと非常に滑りますので注意して下さい。アハハ

    雨の小淵沢では素振りをしていたクラブが手からすっぽ抜け、キャディさんの顔面すれすれに飛んでいき鬼の様な形相をしたキャディさんに1日中、口を聞いてもらえなかった事もあった。今度は当てたろか(笑)冗談ですけど。

    良いことだってあった。ハワイの名門コース。アーノルドパーマー設計のタートルベイではホールインワンを達成したのだ!

    シャンク(右に出てしまう)したボールが何かに当たりコースに戻ってきてそのまま入ってしまっただけではあったが・・・

     

    「何やってるんすか」私の問いに

    「ボールが落ちた場所は30分も経たないうちに芝がダメになってしまうからこうして直すんだ。そうするとゴルフの神様がここぞと云う1打に力を貸してくれる日があるんだよ」

    20年以上前、優しい目をしたTさんが話してくれた。

    私にゴルフを結び付けてくれたTさんは人前に出たり、役を演じる事を成業にしていて出会った頃からマネージャーや付き人の方が殆どの事をお世話されていたので、Tさんが何かをつぶやきながら自分でボールマークを直す姿に正直私は驚きを感じた事を覚えている。私の結婚式にはTさんご夫妻に媒酌人として立ち会って頂いたのだが、式の最中Tさんはテーブルのしたでグリップの形を作り首を傾げていらっしゃった事が可笑しかった。

    そんな事をしながら私は25年近い時間の中でゴルフに近づいたり離れたりを繰り返して来た気がする。

    結局その当時の成業も私は放り出し、何をやっても長続きせず不義理ばかりを重ね叱られてばかりの人生だったが、五十路を過ぎた今、遊び位はまじめにやらなければと思っている。

     

    私はTさんがティーグランドで自分の順番を待つ間、ぼんやりと遠くの山々や流れる雲を見ている姿が好きだ。

    Tさんに始めてお逢いした時のTさんの年齢を私はもう1回り以上超えてしまった。今でも私はTさんに叱られながら、とぼとぼとTさんの後ろを歩き一体どこに飛んでいくのかも判らない次の1打を打ち続けている。

     

    私は今でもあの日Tさんが教えてくれた神様の話をしんじている。

     

     

    約束

    • 2016.01.21 Thursday
    • 13:11
    久しぶりにこのブログに書き込みをしている。ほんの5年振り位だろうか。アハハ
    別に定期的にまた何かを書こうなんて思っている訳でもなく只の気まぐれでしかないのだが・・

    年末から正月明けまでの10日間ほどを東京から1時間程の温泉街で過ごした。
    これはここ7、8年同じでこの温泉街で何をする訳でもなく、朝から酒を飲み只ぼんやりとした時間を過ごしているだけなのだが。
    読みためている本を5,6冊持参した。しかしどうも最近目がかすみ始めて一向に読み進められない。
    しょうがないので又酒をのむ。眠くなるからそのまま眠る。
    目が覚めると深夜3時くらいだったりするのだが、目が覚めた以上それは私にとっての
    朝なのだから又酒を呑む。(殆ど病気だね)
    正月の温泉街とは言えど昔ほど人がいる訳でもなく、逆に正月三が日は街が静かだったりする。
    私は10年ほど前にある人に、この温泉街に連れて来られた事がきっかけで、1年の何週間かを
    この街で過ごすようになった。長い年には3か月近くいた事もあるし、ここになら住んでもいいかしら
    なんて本気で思ったこともある。
    温泉街から車で10分程の所に気の知れたゴルフ場があり気が向くと散歩がてらに一人コースを廻る。
    アップダウンが激しいコースなので18コースを歩くと酒も抜けて丁度良い(笑)
    何年も同じ様に通っているうちに支配人やキャディとも顔見知りになっていて
    よほど混み合う時期でない限りは予約もせずに行き受付のMちゃんに「あら、ひさしぶりね」
    なんて言われながら勝手に一人クラブを担いでスタートして行く。
    日本で一番早いと言われているこの街の梅だが、暖冬のせいか殆ど咲き終わりで驚いた。
    朝はウグイスなんかが鳴いたりしているんだな・・

    始めてその店を訪れたのも確か6、7年前の年末で行きつけのM鮨でしこたま呑んでから女の子のいる店に
    オジサン達は飛び込みで入った。客は殆どが浴衣姿で温泉宿の下駄をはいた男たちで賑わっていた。
    酔っ払いのオジサンの隣に座った女の子は目の印象が強い20代半ばに見えるN美だった。
    N美はあまりしゃべらずニコニコと笑っている。
    少し人見知りをするのだろうか・・笑顔なのだがどこか構えているような気がした。
    もちろん呂律も廻っていないオジサンの相手なのだから身構えする方が当たり前か。アハハ
    少し話していると慣れて来たのか大きな目で最近は不景気だからなんて話をしている。
    私は彼女の言葉(イントネーション)が気になった。
    「君はこの街の人?」
    彼女は20年ほど前にこの街に来たと言った。それまでは母親の実家がある北陸の町で育ったのだと。
    よくよく聞けば私の故郷の町でしかも車で5分ほどの場所だと言う。しかも母親と娘3姉妹で身寄りも無いこの
    街にやってきたのだと。
    私は昔から郷土愛というものが無く時々酒場で遭遇する同郷の人に握手を求められても何故だか違和感を感じてしまう。
    もっと言うと愛国精神自体がない人でもあるのだが・・
    しかしこの時は身寄りもないこの街に親子4人で来たと云う事の方が私には何故か不思議に思えた。
    「それでお母さんは?」
    私が問うと近くでスナックをやっているのだと言う。
    母親の年齢を聞くと彼女の年より母親の年齢の方が私に近い。店の紙ナプキンに簡単な地図を書いてもらい
    私は皆と別れ、一人千鳥足で彼女の母親がやっているという地下にあるGという店に入った。
    一見の客はあまり来ないらしく私が店の扉を開けるとカウンターに客が2人。振り向いた男達は一瞬不思議そうな顔をした。
    カウンターの中から大きな目をした女性が小さな声で
    「いらっしゃいませ」
    と問うようにこちらを見ている。
    私は先ほど合った女の子と同じ目をしている女性の前に座って焼酎を頼んだ。

    それから時々Gに顔を出すうちにママからの心付けが故郷の実家に届くようになり
    ママが帰省した際には私の実家の年老いた母親の顔を見にいってくれたりもした。
    別に男と女の関係がある訳でもなく只酔っぱらうと居心地の良いGのママの店に行きそのままソファーで眠ったりもした。
    タクシーを呼び酔っ払いを肩に抱き地下の階段を女性の力で上るのは楽ではなかったろう。
    金も持たずに飲み歩いているのだから飲み代も溜まっているだろうに、お腹が空いているだろうからとママ手作りの料理まで持たせてくれた。
    いつしか店に通う内に常連とも少しづつだが話をするようになり、ママのゴルフの腕前が相当だという話を聞いた。
    「いつか一緒に行きましょうね」
    気まぐれでいつこの街に来るかもしれない私にもママは優しい声でゴルフに誘ってくれた。
    一昨年、始めて私は街に行く日程をママに連絡しゴルフの約束をした。
    しかし、約束の前々日になってどうしても腰痛がひどいのだとママからの連絡がありそのゴルフは延期になった。

    昨年末この街に住むSさんから電話が入っていた。かけ直してみるとGのママの訃報を聞いた。

    一昨年がたまたま仕事が重なった事もあってここ数年では珍しくこの温泉街に足が遠のいていた。
    私はSさんの声を聴きながらただぼんやりとGのママの優しい目と声を思い出していた。
    腰痛だと思っていた原因は膵臓癌だったとの事で病院に行った時には既に末期癌だったとの事。
    ママに世話になった御礼と無沙汰、そしてゴルフの約束を守れなかった詫びを悩んだ末、ママの携帯にメールで送るとすぐに娘のN美さんから電話を頂いた。
    くだらない酔っ払い客からのメールで娘さんの気持ちを抉ってしまったのではとメールを送った事を後悔したが、
    さほど苦しまずに逝った事を聞いて少しだけ救われた気持ちになった。3人の娘が皆お嫁に行った事。
    孫が出来て喜んでいた事。そして20周年を前にGを閉めた事を聞いた。
    良い人ばかりが先に逝ってしまう。

    9番ホールで一人ぼんやりとGのママの顔を思い出しながらゴルフのボールを打った。






     

    ウグイス

    • 2010.12.31 Friday
    • 10:16
    伊豆地方の小さな温泉街にいる。
    この地方の穏かな気候のせいかどうも年の瀬だという感じがしない。
    私が日中は殆ど外に出ていないせいもあるのだろうが・・なんか完全に夜行性になってるな。
    日本海側や東北地方では強い寒波の影響で大雪が降っているという。
    寒いのはしょうがないが、降りすぎた雪による冬の事故などが起きなければよいのだが。

    昨夜はSさんより電話を頂き「来ているなら一緒に呑まないか」のお誘いに二つ返事で出て行った。
    Sさんは大学野球で全日本代表選手だっただけあって酒の呑み方が半端じゃない。
    美人ママの小料理屋Yで待ち合わせて少し呑んだ所で酒を変えようとハワイアンバーに。
    少しだけ歌でも歌うかと私と同郷のママがいるスナックGに顔を出す。少しだけのはずが閉店時間まで粘った所で追い出された。
    それでもやっている店はないかと探してみるが、年末の温泉街のネオンは全て消えていた。
    私は賑やかな盛り場に出ると何故だか帰りたくなくなってしまう。
    別に家に帰ると辛いことがある訳ではないのだが・・アハハ
    一昨日は一昨日で東京に戻り熱血政治家I、イケメン上場会社社長T、代官山のカリスマ美容師M、麻布のチャリンコ住民Y、小生恋をしていますのM、それに酔うと恐い会計士Aとで毎年恒例の男だらけの忘年会(どうにかならんかね)出席の為、六本木の鍋屋に集合した。死神博士A、青年ヤブ医者院長Sは仕事で遅くなるとの事。
    あいつら逃げたな・・・。
    今日こそは早く帰るぞと鍋をつつきながら誓ったのに、Iの嫁さんと同じ名前の可愛い子ちゃんのEちゃんを指名した頃には既に自分が何処にいるのか解らなくなっていた。
    そして気が付いた時には何故か新宿の餃子屋で朝の6時過ぎだというのにおじさん達は紹興酒で「乾杯!」と叫んでいる。
    年末とはいえ、気のせいか病気になる前より酒の量が増えてる気がする。
    主治医と一緒に呑んでいるのだから大丈夫だろう…アハハ

    私の育った実家近くに当時、ウグイスと呼ばれていた町があった。
    正式な町の名前はもちろん違うのだが大人が差別部落の意味を込めて呼んでいるその呼び方をまねて、
    子供の私達もその町に暮らす者達を「ウグイス」と呼んだ。
    何故ウグイスなのか意味など解らなかったが皆がそう呼んでいるから私も又、皆と同じ様にウグイスと呼んでいた。
    ウグイスは競輪場の近くと云う事もあってか競輪の開催される日には新聞と赤ペンを持った男達であふれていた。
    男達の中には入墨(今は刺青なんていう)を入れた者も多く、昼間から酔っぱらって道路で寝ている者達もいたりした。
    少年野球チームのグランドと私の家との間にウグイスがあった事から練習の帰り道私はウグイスを通って家路に着いた。
    子供ながらにウグイスを通るときには何故だかわくわくする気持ちと少しの緊張感があった。
    ウグイスにはスナックや居酒屋それに雀荘やホルモン屋が所狭しと古い長屋で軒を連ねていた。
    競輪が開催されない日には殆ど人の気配がしないウグイスだが開催される日の夕方近くになると昼間の殺伐とした町を切り取ってしまったかのように赤やピンク、紫の看板に灯りが入りそのネオンが艶かしく少年にはそれが美しくさえ感じた。
    毎晩店の女達が胸の大きく開いた派手なドレスを着て男達と騒いでいた。
    店のドアが開くと異次元の扉が開いたかの様に酔った男達が大声で笑い叫びそれを女達が抱きつき笑いながら送り出す。
    その女達の中に少年の私が知る女がいた。
    女は下品なくらいの真っ赤な口紅をひき呂律が廻らない程酒を飲んでいるNの母親だった。
    Nの母親は客を送り出した後、私を見つけると「ちょっと待ってて」と視点の定まらない目でフラフラと店に入っていった。
    出てきたNの母親が持たせてくれたのは鼻紙(ちり紙)に包んだチョコレートだった。
    少女の様な悪戯な目つきで私にウインクをして「仲良くしてやってね」と笑うと彼女は又あの異次元の扉の中に戻って行った。
    Nの母親が残した酒と香水の匂いに少年の私は大人の女を感じていた。
    ドレスの胸元から見えていた彼女の下着が家に帰って夜布団の中に入って目を閉じても少年の頭の中から消えなかった。
    春先に転校してきたNは秋になっても仲の良い友達がいるでもなくいつも一人でいたように思う。
    私は1度だけNの家に行った事があった。何故だったのか覚えてはいないが珍しく良く晴れた大晦日の午後だった事は覚えている。長屋の小さな借家はNと母親の2人暮らしとはいえ、決して広くはなかった。殆ど家具らしい家具はなかったが、それでもきちんと物が片付けられていた。買い物から帰って来たNの母親がNと私の為に酒粕で甘酒を作ってくれた。
    鋭い目つきのNとは違ってNの母親は優しい目をした静かな印象で、大人達の噂する「パンパンの朝鮮女」ではなかった。
    Nが友達を家に連れて来たのは初めてだとNの母親は嬉しそうに笑っていた。

    私は言えなかった。Nの事を皆と同じ様に「チョン」と呼びウグイスの傍にいると皆から無視をされるのが恐くて私も皆と同じ様にNの事を差別している事を・・
    それからもNは学校でいつも一人だった。しかしその一人は寂しい孤独の一人ではなく大人の男が持つ群れない凛とした強さを持つ一人に私には見えた。

    私がNの母親とNを最後に見たのはそれから暫くしたまだ雪のちらつく春先少し前の日だった。
    子供の私が見てもその道の人間だと解る男と手を組んで競輪場から出てくるNの母親は嬉しそうに男を見て話していた。
    その後ろを無表情なNがついて歩いている。
    幸せそうな親子にも見えた。
    NとNの母親はそれから暫くしてウグイスの町から消えたと噂が流れた。
    大人達の話では店に借金を残したまま店に出入りをしていた客の男と一緒に町を出て行ったそうだ。

    40をとうに過ぎた今でも時折酒場で一人酒を呑む鋭い眼をした男を見かけるともしかしたらNでは・・と思う時がある。
    彼があの先の人生をどう生きたのか、彼の母親が元気なのかと今でも酒を呑みながらふと思う時がある。
    私が酒場に行くと帰りたくなる理由は少年時代に見たあの異次元への扉に入ってみたい気持ちや、美しいネオン街にある妖艶な女達のあの色気を探しているのかも知れない。
    今年も何とか年は越せそうだな。

    年末にむけて

    • 2010.12.09 Thursday
    • 15:48
    昨夜は久し振りに朝方まで酒を呑んだ。
    3日ぶりくらいだろうか・・アハハ

    イケメン上場会社社長Tから数日前にメールが入った。
    秘書の方に送るメールが間違って私の所に届いたのではと思うほど事務的な内容で以下の3つの中から都合の良い日を選択しなさい的に日付と時間が数パターンだけ記されている。
    仕方が無いので真ん中のコース?を選んで返信をしてみると「了解」とだけ。
    次に届いたメールは待ち合わせの店を指定している。
    あの男は私の事をスパイか何かと勘違いしているのじゃなかろうか・・

    指定された時間に店に着くとあれほど事務的なメールを送る人とは思えない笑顔で私を待つT。
    席に着くと酒が運ばれてくる前からTは随分嬉しそうに最近Tの廻りで起きている日常や今年の春にTに誘われ一緒に出かけたパラオへの波乗り旅行の後日談なんかを話し始める。
    Tは世間的には公人という立場だからなのか、Tが話す日常の出来事の話は私にとっては刺激的に聞こえる事が多い。普段こうして逢っていても必ずTの傍にはスケジュールを握るイケメン秘書S君がいる。
    朝方まで六本木で酔っ払った日も、帰れなくなるまで呑んで私のアパートに泊まった日も何処からともなく迎えの車が現れてTは消えていく。月光仮面みたいだな・・
    しかし、今日のTは普段のTとは違って何かに気を使っているように私には見えた。 お金でも借りに来たのだろうか。
    仕事とはいえど何十億、何百億という金額を動かしているような男に貸す金など私には無いし、どちらかと言うと今年も年を越す為には誰かに金を借りれないかとこちらが思っている位だ・・。

    数ヵ月前、どうも眩暈がひどく物忘れがひどいので悩んだ末、頭の検査を受けた。
    結果は脳には何の異常も見られず物忘れは元々私の記憶力が悪かったという事で決着がついた・・アハハ
    その代わりに私の頭の中には7ミリの動脈瘤があるという事が解った。
    同じ位の年齢であろうK先生は白黒の写真を見ながら神妙な面持ちで話す。
    「どなたかご一緒に話を聞かれるご家族は?」
    不謹慎だがK先生の話し方が一昔前のテレビドラマみたいで笑ってしまった。
    正式な病名は未破裂脳動脈瘤と言うらしい。
    未破裂という事は破裂をする可能性があると言う事で、破裂をすればくも膜下出血という病名に変わる。
    同じ病気の方もいらっしゃるのだろうから生と死の話はあまり触れない方がよいのだろうが、まぁ手術をせずに破裂すれば
    助かる事の方が極端に少ない病気であるという認識が一般的である。
    最近だとプロ野球巨人軍コーチの木村拓也さんがこれで亡くなられている。
    私はこの病気の事を身内に話すのに一月以上かかった。私自身はさほど考え込んでもいないのだが、家族となるとやはりやっかいな感情が物事を大きくする。
    医師や看護士が血だらけで運ばれて来る患者を冷静に判断し処置する事が出来るのはやはり他人だからだろう。
    ある程度覚悟はしていたが、家族に話してからは煙草も自由に吸えなくなった。
    煙草を吸っている最中に動脈瘤が破裂し意識不明になる事例が多いのは血圧の上昇と関係しているからだと、にわか勉強家達は自慢気に言う。煙草をやめる位なら死んだほうがましだと粋がってた中年がこんな形で禁煙をさせられるとは夢にも思わなかった。

    Tが普段は見せない表情で亡くなった妹の事を涙を溜めながら話してくれた。
    嘘ぶく私にそれでも身体を大切にしてくれと純粋な目で言ってくれた。

    Yの墓参りに数年ぶりに新潟を訪れた日、雨で濡れた墓石に享年28歳と刻まれていて改めて驚いた。
    死んだ子の年を数える様な話をしてもしょうがないのだが、あれからもう10年以上の時が過ぎたのだ。
    病気の神様は生きているという事も死ぬという事も決して特別な事ではないのだと認識させてくれる。
    死亡率が何パーセントだとか、生存率が何パーセントだとかは知ったこっちゃない。
    1つだけ確かなのは人は誰もが生を受けた瞬間からどんな例外もなく砂時計が落ち始めるのだという事だけなのだ。
    手術を受ける為の準備を何もしない私に代わって友人である北原脳神経外科クリニック院長の菅原氏が忙しい中をJ医大のM先生の所までわざわざ出向き手配までしてくれた。
    ずっとヤブだと思っていたが本当は良いお医者さんだったのね・・アハハ。感謝している。
    不器用な死神博士らしく、酒を呑んだ帰り道に何も言わずお守りを手渡してくれた。
    Mはキセキの水だと鹿児島の温泉水をわざわざ送ってきてくれた。
    Kは煙草が止めれないだろうと禁煙煙草を中毒になる位持ってきてくれた。
    カリスマ美容師Mも今年の忘年会の日程を私の為にさりげなく気を使ってくれている。
    そしてIはジジィが生きている間に盛大に生前葬をやりましょうよなんて騒いでいる。こいつだけは死刑だな・・アハハ
    一緒に仕事をしている内勤スタッフに年明け暫くの間留守にする事を報告した。
    元々私などがいなくても大した変わりは無いのだが、頼りになるスタッフ達に救われて13年もの間好きなようにさせて貰ってきた。
    暫くの間、外から眺めてみるのも悪くはない。

    春うらら

    • 2010.04.09 Friday
    • 17:01
    私の住むアパートの前にある桜並木が春の風に花びらを散らせ始めている。
    そう言えばここの桜の木が花をつけるのを見るのは越して来てから始めてだな。

    数日前、三●物産のOさんとSさんとで山梨にゴルフに出かけた。
    OさんもSさんも私と同じ歳でゴルフが大好きだと言う事でこのメンバーでは1年振りに出かけた。
    いつも元気なI社長もご一緒するはずだったのだが、シンガポールに出店の為とかで急遽3人でプレーする事が決まった。
    今年に入ってから3度目のゴルフだが、数週間前から右の肘が痛く、練習をするどころかクラブさえも握れなかった。
    当日は予報通り午前中は曇りだったが午後からは小雨が落ち始めて、3人とも午後のゴルフは春の雨の中を早足で廻った。
    ゴルフを始めてからどれくらい時間が経つのだろうか・・少なくとも始めてクラブを握ってから20年では効かないのだろう。
    よくも毎回毎回同じ事を繰り返し失敗するものだと我ながら感心してしまう。

    偶然だが同じ歳のキャディーさんがバンカーから出てきた私に小山の中腹に咲く桜を見ながら言った。
    「このホールの桜は他のホールに咲く桜よりも少しだけ遅いのですよ」
    言われた方向を見るとが小ぶりだが太い幹の桜が山の傾斜地からホールに向って並んでいる。
    まだ3分咲き程度だが花をつけている。
    品種が違うのではないのだろうかと問うと彼女は品種は他のホールの桜と同じだという。
    それならば、土壌が影響しているのだろうか・・
    彼女の説明だと北側に面している山の日照時間と風の関係が桜の木の成長に影響しているのだと話してくれた。
    他のホールにある桜が殆ど花を落とす頃、この桜だけが満開の時期を迎え花を咲かすらしい。
    この人は毎年この少しだけ遅咲きの桜をこのホールで眺めているのだろうか・・それならば少し羨ましいと思った。

    ここにも以前書いた事がある女優(タレント)が、CMだかイメージビデオだかの宣伝の為に数年ぶりにテレビに出演し会見を開いていた。
    真っすぐな視線で話す彼女は数年前より痩せた感じがした。
    彼女の静かに話す笑顔には逆に以前よりも何処か頑なに何かを拒否している様に私には見えた。
    相変わらずマスメディアは数年前に彼女が発した一言を揚げ足を取った形で報道している。
    全く馬鹿じゃなかろうか。
    私が少年の頃は今ほどサッカーやフィギヤスケートがテレビで放映される事が無かった。
    スポーツと言えば巨人戦の放送かプロレスの中継を見る事が娯楽でそれを少年達はテレビの前に噛り付いて見ていた。
    大きく太った身体で額に何本もの傷を持ちフォークをズボンに隠し持つ可笑しな形の靴を履くレスラーや頭にターバンを持ちサーベルを片手に観客さえも怒鳴り散らすレスラー達が画面の中で毎週流血を繰り返していた。
    しかし彼らはそれだけ凶暴にも関わらず観客に乱暴を働く事は無かったし、サーベルやフォークを致命的に勝負に結びつける事はしなかった。
    興業である以上当たり前なのだろう。
    彼らの仕事は正義を苛め観る者が正義感を持ち正義の応援をする事で快感を得る人達の為に働いている悪役という職業なのだろうから。
    悪役に悪役を辞めろといいながら悪役を辞めようとする者を又悪役として仕立て上げている。
    この国の大人達は桜の花までも皆と同じ時期に同じ様に咲かせようとしているのだろうか・・・

    悪人なら幾らでもいる。
    ITバブルと言う名で死亡者(沖縄のホテルで自殺?)まで出した途方もない程の金を手にした若者達の事件や出逢い系と呼ばれる希薄な関係で覚せい剤を打たれ山中で行方が分からなくなっている未成年少女の事件。
    腐敗した政治家や銀行が目茶苦茶を行って来た挙句に辿り着いたこの国の今を国民にきちんと報告し、侘び、考える事が先ではないのだろうか。

    ゴルフの帰りに出かけたT鮨の玄関にも桜の枝が活けてあったな。
    よく桜を見る日だ・・・当たり前か、春だものな。

    ポンコツ

    • 2010.02.05 Friday
    • 18:23
    Oさんと始めてお逢いしたのは昨年の丁度今頃だったのではないかと思う。
    もう少し前だったかもしれない・・
    週の始めに外資系のデベロッパーC社に勤務するOさんと酒を呑んだ。
    昨年から私はずっとOさんにお逢いしたかったのだが、時間がなかなか合わず年を越してようやくお逢いする事が出来た。
    Oさんとの出逢いは、何度か一緒に仕事を進めた事のあるMさんの紹介で、ある日Mさんと一緒に私の事務所にやって来た。
    決して愛想の良い人では無かったが真っすぐに人の目をみて話す人なんだなと私はOさんに興味を持った。
    それから近くは無い私の会社に、何度も足を運んで下さり丁寧にS社が翌年に計画する事業の事を説明してくれた。
    年間に何十人と言う各社のリーシングの方にお逢いする事もあり、私はOさんの話を最初は話半分に聞いていた。
    しかもOさんが話す「アウトレット」と言う言葉は知っていても1年を通して殆ど同じ服で過ごす私にとってそれがどんな場所なのかも検討がつかなかった。

    それでも数ヵ月後Oさんの人柄に惹かれた事もあって今の私の会社の規模では絶対に失敗は許されない投資と時間を使ってどうにか出店を決めた。
    実際、出店準備が始まると右も左も判らないゼネコンとのやり取りや、指定を受けている業者の看板代金の話しまでをOさんは嫌な顔ひとつせず殆どの事をホローしてくれた。

    少し酔った口調で
    「外資に勤めているんですが英語が殆ど話せないんですよ」
    なんて教養の無い私を気遣ってか嘯きながら笑っている顔が少年みたいで好感が持てる。
    学生時代にアメフトをやり首を痛めた話し。プロになろうとまでしていたスノーボードをやめた話し。
    今は一人で山登りをしていますよと静かな目でOさんは話しておられた。
    きちんとした礼も言えないまま11時を過ぎた時間に店の前でOさんと別れた。
    今度は一緒に波乗りをしましょうと約束をしてくれたOさん。
    Rママの店のカウンターで一人さっきまで一緒にいたOさんの事を考えていた。(ホモではありませんよ・・)

    平成の大横綱と言われた関取が引退を表明した。
    若干29歳の若者である。
    まだまだ力を余しているであろう若者の口から出た引退と言う言葉が画面を通して痛々しく感じた。

    私は相撲協会の内情は詳しくは知らないが、おそらく報道とおり解雇か引退をするかをつまらない大人達に選択させられての事なのだろう。
    残念なのは、その事を都民の代表者である立場の知事が「とっとと、辞めてもらって結構」とコメントする様子がテレビ放送で流れていた事である。

    私はこの横綱であった関取の贔屓でもファンでもないし、どちらかと言うと歯に着せぬ物の言い方をする都知事の発言にいつも興味を持っていた。
    それだけに、自分が吐いた言葉の影響力が一体どれくらいあるものなのかをこの人は解っているのだろうか。
    何様になってしまったのだろうか。知事の発言を聞いた子供達は一体どう思うのだろう。
    それならばオリンピックを招致する為に使われた国民の税金は一体どれくらいの金額なのか・・彼らが「招致の為の視察」と言う名をつけた海外旅行は数億円に上ると言われている。
    「幾ら強くても行儀の悪い人間は駄目だ」と話している行儀の悪い都知事を見ていたら怒りを通り越して気分が悪くなってきた。
    この関取がどれだけ愚行?を重ねてきたのかは知らないが、テレビやマスコミは簡単に昨日までのヒーローを今日のヒールに仕立てあげてしまう。
    子供向けのヒーローものにも悪役は必ずいるのだからそれはそれでいいのかもしれない。
    しかし、この関取が子供は勿論この国のどれだけの人を感動させてきたのかという功績は何処に行ってしまうのだろう。
    もっと言えばこの関取が勝ち続けた事でこの国に及ぼされる経済効果がどれくらいあったのかをこの知事はきちんと調べていたのだろうか。政治家なら僅かでも彼が経済効果をもたらした事や、この国に活気を出させて貰った礼を言う事があっても非難する事など政治家くんだりの立場で言える事では無い事がわからないのだろうか・・他人がとやかく言える事ではないだろう。
    仮に酔って人を殴ってしまった事は事実としても、それはそれで司法に基づいた責任を一個人として負うべき事で彼が生業としていた職業にまで影響させるほどこの国の国技とは大切なものだったのだろうか・・・
    発言をしていた都知事の息子は国会議員をしている。
    その父親が今している政治は都民の為だけにしている政治活動には私には見えない。
    全てとは言わないが少なからず自分の息子にバトンを渡す事を考える一個人の私欲の為のパフォーマンスの為に巨額の血税を使ってきた様に私には見える。それで本当に息子は父を尊敬するのだろうか・・
    民主党の幹事長が何十億円と言う途方も無い金を秘書が間違えたというだけの話ですよと舌を出して笑っている。
    子分がやった事の責任は親分の責任では無いと恥ずかしげも無く話している。
    トカゲの尻尾は切ってしまえばそれでいいのだろう・・
    大人の男が口にした事は取り返しがつかない事がある。
    全くばかじゃなかろうか・・

    「子供の為なら私は仕事もやめますよ」と話していたOさん。
    この人の子供ならばきっと父親を尊敬しているであろうな。幸福な事だと思う。

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