黒川村

  • 2017.11.13 Monday
  • 13:20

今朝は腰痛の具合が少し良い。長年患っているせいか目を覚ました時に腰から背中にかけての張りの具合で今日の調子が解るようになってきた。今日は秋晴れなのであろう。それでも調子に乗っていきなり起き上がったりすると酷いことになったりするから厄介である。そっと身体を横にしてからゆっくりと起き上がっている自分の姿を見ると完全に老人化している。

今朝はいつもより遅い起床で、目覚ましを見たら5時を少し過ぎた時間だった。ここ連日、銀行やら法人会やらのゴルフコンペが続き、さすがに身体も疲れたのであろう。少しでも長い時間眠れた事に安心する。若い時には飛行機に乗る時間に起きる事など普通だったし、嫌な事は寝て忘れていたのに・・夜明け前のほの暗いアパートのベランダに出てみると、まだ街は眠っているのか空気が貼りついている感じがする。私はこの凛とした朝の空気が嫌いではない。

時々東南アジアなどに旅行などで行くと朝の空気が生暖かくてガッカリしてしまう事がある。私は田舎に育ったせいか朝、顔を洗う時の水がぬるいのも苦手で、冷たくない水で顔を洗った日は何だか1日顔を洗った気がしない。習慣とはそんなものなのだろう。ベランダの椅子に腰かけ医者に止められているコーヒーを飲みながら、医者に止められている煙草を吸う。(止めた事になってますが)これが暖かい季節になるとビールにもなったりもする。完全にダメ人間ですね。アハハ

私の最も苦手な月。11月も気づけば半分近くが過ぎようとしている。そして45日も経てば又今年が終わる。

と云っても世の中が勝手に年号を変えて騒いでいるだけで私自身は何も変わりはしないし終わりも始まりもしないのだが。だから幼少の頃から母親に「あなたにはケジメがない」と言われ続けているのだろうか・・

今年も考えてみれば色々な不義理ばかりをして逢いたいと思っている人には会えず、さして逢いたくもない相手との約束ばかりがスケジュール帳に書き込まれている。会食という名の付いた食事をしながら目の前の禿げたおっさんが自社の商品を説明している姿を焼き鳥を食べながらぼんやりと見ていると、本当はこの人も早く帰りたいんだろうなぁなんて思ったりもする。

「そんな事どうでもいいから早く綺麗なお姉ちゃんがいる店に行こうよ」

って言ったらこの人、一体どんな顔するのかしら。アハハ

 

私は仮に予定を立てていても(基本は無計画ですが)殆どの事がその通りいかないのは子供の時分からなのだが、半年ほど前から少し気になっている事がある。今月中にとか今年中にとか、時間の制限をする話ではないのだが、黒川村に行きたいと思っている。黒川村は新潟県の北東にある町でのどかな美しい村である。渓谷沿いの山々にある木々はもう紅葉が色づいているのだろうな。

 

20数年前黒川村にあるYのお宅に始めてあげて頂いた時、水道の水が冷たい事に驚いた。私がその事をYの母上に問うと

「井戸水ですから冷たいのですかね・・私達はこれが普通になってしまっていますから」

と優しい笑顔で答えられていた。

一緒に出かけた近所の鮨屋でもやはり冷たい水で私は手を洗った。

Yは18歳になるまでこの美しい村でどんな少年時代を過ごしたのだろうか・・私が知るYは何に対しても警戒心を持ちどこか都会ぶった話し方で鋭い目をし嘘ぶいていた気がする。そんなYが時折見せるあどけない少年のような美しい目の理由がなんだか少し解った気がした。

少年時代のYは西瓜やトマトをこの家の前の川で冷やして食べていたのだろうか。夏は釣りや川遊びも出来るだろうし、これだけ美しい水なのだから沢山の蛍も来るはずだ。

 

私はYが東京に住んでいた時に池袋のバイト先で出会い、当時私が23、4でYが二十歳前後だったと思う。

時間だけが有り余っていた私達は数年間という時を殆ど毎日のように一緒に過ごした。過ごしたと言っても毎日朝からビールを呑み、開店時間になればパチンコ屋に行き、金がなくなれば朝まで麻雀を打ち続けていたのだが。もちろん金も持たずに麻雀を打つのだから終わるのはどちらかが勝つまでか、チャラに戻すまでしか方法はなく今思えば若さゆえでは済まされない事をしていたのだと思う(笑)
それでも金が無くなるとYの妹さんの所に2人で出かけ適当な事を言って彼女の1月分のバイト代を騙しとった事もあった。

当時の私達はとにかくどちらかの金が少しでもあれば、それがなくなるまで酒を呑んでいた。いつも通っていた雀荘のおやじが経営するボロ居酒屋で(失礼)餃子とビールで空腹を満たし、挙句金も払わず店を飛び出したりもした。(殆ど犯罪ですね)忘れた頃におやじの雀荘に行くと麻雀の支払い伝票にしっかりと餃子とビールが付いていて驚いたりした・・もしかして防犯カメラでも付いていたのだろうか(笑)

金が無くてYの家で深夜にテレビを見ていた時、Yが寝ている事をいい事に勝手に色んなものをYの住所で注文し、そして翌日届いたものはしょうがないからとYに金を払わせ、私はその足で届いた商品を売りに行ったりもした。本当に滅茶苦茶ですね。アハハ

それでもYは少しだけ年上のこんな私をいつもどこかで気遣ってくれていた。

池袋の餃子屋で些細なことで隣のサラリーマンと揉め事になった時にも身体の大きなYは2人を相手に必至で私を守るように、そして一番暴れていたな(笑)

「喧嘩じゃ負けた事ないですから」

呑むとよくYは口にしていた。し、ラグビー選手のような体格からか相手が気後れをしたのかも知れないが私が見ただけでもYは1度も本当に負けた事がなかった。それでも子供の様にお茶目な所がありYは私達バイト仲間の人気者だった。

 

私が今の成業を始めたばかりの頃、Yもやっとやりがいのある会社に就職をしたんだと大手の企業に遅ればせながら新入社員として勤め始めた。暫くすると仕事が上手く行かないのだと、会社の中で孤立しているのだとYは笑いながら話していたが、私はYの会社での話など興味がなく「嫌ならやめろ。やるなら我慢しろ」と自分の仕事の疲れやうっぷんをYにぶつけるように只解ったような事を先輩面をしてYの事を詰ったりした。

大きな連休が終わった次の日曜の夜に共通の友人から電話が入った。

「今日Yが死んだよ」

その時の会話はそれしか覚えていない。在京のプロ野球球団が持つドーム型の野球場近くのホテルでYは自らこの世を去った。

その4、5日前に私のアパートに泊まった時のYはいつもと何も変わらなかったように私には見えた。

正確に言うと、商売を始めたばかりで必死だった私は日々の仕事に肉体的にも精神的にも疲れ果てていてYの話などどうでもよかったのだ。話半分に聞いていて私はテレビを見ながら眠ってしまい朝起きた時にはYのパジャマにと貸したTシャツがきちんとたたまれていた事を覚えている。

葬儀の時にYの母上から聞いて驚いたのは、Yは東京を離れ故郷である黒川村に帰る事を決めていたとの事だった。日曜の朝Yはその事を母上と電話で話しその事を私に伝えに行くと言って電話を切ったらしい。しかしYはその日私の所には来なかった。

 

少年時代のYはとても大人しく末っ子特有の甘えん坊で、優しい少年だった事を母上が話しておられた。他の子供達よりも身体が大きい分喧嘩に駆り出されても相手を殴る事すら出来なかったらしい。

Yは一体何に悩んでいたのか、何がYをそうさせたのかは愚問でありYにしか知りえない事なのだろう。

そしてYは何ひとつ持たずに次の旅所に向かった。私はこの時から金に振り回されて生きる事をやめようと決めた。

私は五十路を過ぎ、Yが生きていれば45はとうに過ぎたのだろう。ここ数年Yが眠る乙宝寺にも私は行っていない。

笑顔が可愛いOにも、一緒にゴルフの約束をしていたE、いつも酔っ払いの私を面倒見てくれたGのママ、不良の鏡みたいなTちん、故郷に眠る祖母の墓にも・・自分が情けなくなる。

 

Yの故郷である黒川村は10数年前に町の統合か何かで胎内市と名前が変わった。

胎内市か・・きっと末っ子で甘えん坊のYは母上のお腹の中に戻っていったのだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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