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    40年前の夢

    • 2018.03.05 Monday
    • 16:22

    おかしな夢を見た。時計を見ると4時少し前で私は普段大体この時間には目が覚めてしまう。

    リビングに行きコーヒーを啜りながらぼんやりと窓から見える街並みを見ている。

    この時間に起きていると外はまだほの暗く殆どの家の灯りが消えている。街が眠っているように感じる瞬間でやがて登るであろう太陽を見る事も日課になる。(完全にじいちゃん化してるな・・)

    良い事もある。毎日少しづつ太陽が昇る時間が変わり最近は早くなって来ている事が解る。

    小一時間も経てば車の音や人の喧騒がし始めるのだが、その前の時間が止まっているような街並みを見ながらさっきまで見ていた夢を思い出してみる。誰かの小さな手がちぎられた紙に私の名前をゆっくりと書いている夢だった。


    「おまえがこのクラスで1番嫌われてるんじゃ」

    大声で叫び笑いながらTが私を追い越して行く。「こんなブスばっかりのクラスの女なんかどうでもいいんじゃ」と私はTに続いて昼休みの校庭に向かう。

     

    私は小学生時代からどこかおかしな子供で一体何の為に学校に行くのかも解らず、親や教師達を困らせた。

    母親などは本気で心配して今で言う精神診療内科に私を連れて行ったりもしたらしい。

    学校に向かう途中一人河原に行ってしまったり、学校に行くと出かけ近くの山に登っては虫たちを眺めて野球の練習が始まる夕方までの1日をぼんやりと過ごしたりもしていた。

    もちろんそれを見つけられて身体が飛んでいく程の力で父親にも担任の教師にもよく殴られていた。

    それでも少年は「喉元過ぎれば熱さ忘れる」で田んぼの中に全ての教科書を捨て、変わりに田んぼで捕まえたザリガニを(私の田舎ではザッピンという)ランドセルの中一杯に詰めて帰った事もある。

    祖母は「早くお風呂に入りねぇ」と笑いながら優しく体を拭いてくれた。が、それを知った父親の怒りは大変なもので、顔が腫れるほど殴り蹴られ「今すぐ教科書拾ってこい」と家からパンツ1枚で放り出され暗くなったあぜ道を懐中電灯を持った祖母と2人教科書を探しに行った事もある。

    それでも私は田んぼで泣くカエルの事が気になってそれを捕まえようとまた泥だらけになった事を覚えている。

     

    クラス替えのあった小学5年の時、クラスの女子達が「クラスで1番嫌いな男子と人気の男子」と名を打って投票を行いそれを昼休みの教室で黒板に書き出し発表しだした事があった。

    興味の無い私は校庭に野球の練習に出かけたが悪ガキのTは1度出た教室にそっと戻り扉の隙間からその様子を伺っていたらしい。私が通っていた小学校は市内でも人数の多い学校で丙午の私達の年度でさえも6クラス程ありクラスには47,8名の子供達がいた。男女ともに23,4名がいた事になる。

    この年齢の女子は幼児でもなく大人でもない独特な感性と残酷さがあり、授業終わりのホームルームというのだろうか?担任の教師が連絡事項や宿題などのチェックを行うような事をしている時に「今日Mさんが授業中、教科書に絵を書いてあそんでいました」と担任の教師に告げ口をするような事が日課で大概それを発表するのは活発な女子、ターゲットもまた決まって同性の大人しい女子だった。

    言われた方は真っ赤な顔をしてうつむき只時間が過ぎるのを待つしかなかっただろう。

    子供心に残酷な事だと思っていた。これはどこかの国で今現在も行われている洗脳の習慣と似ている。

    だから言われた女子はもちろん、その日は言われなかった女子も活発な女子の顔色を伺う事が子供社会の中でも出来上がり、女子達はみな活発な女子のグループには逆らえなかった。

    私はその活発な女子のリーダー的な存在のM美を苛めた。正義感とかではなく只腹が立ち、目が合えば殴りすれ違ちがいざまには蹴りを入れ酷い言葉を浴びせたりもした。気の強いM美はそれでもひるまず担任の教師に告発状なるものまで作り、それを見た担任の教師は私の理由など聞かず皆の前で私を引きずったりビンタしたりした。今では考えられないだろうがこれは事実でまたそんな時代だった。

    何度教師に殴られても私はM美を苛める事を止めなかった。

    私は1度M美が授業中に仲間の女子に渡す手紙を回していた事をこの時間に皆の前で発表した。発表した途端、クラスの空気が凍り付き担任の教師は何事もなかったかのように私の発表を無視し「他になければ終わるが・・」と言った。

     

    ある日M美はH子の事も例のホームルームで吊し上げH子は泣きそうな顔で下を向きその時間を耐えていた。

    その横顔を私はぼんやりと見ていた。

    それでもH子もすぐにM美達のグループに入り端っこで気を使いながら笑っているように見えた。

    私はH子の事が好きだった。控えめだが良く笑うH子とは殆ど話すこともなくたまに話しかけられても無視をしたり、悪態をついたりしていたのでH子は私が思いを寄せている事など知るはずもなかったのだが。

    同じ少年野球チームに所属していた悪ガキTがクラスの女子の殆どが私に「嫌い」で投票していた事を練習終わりに立ち寄った駄菓子屋のベンチで笑いながら話してくれるのをアイスを食べながら聞いた。

    私の票は正しいと言う字が3つ並んでいたらしいから15票か・・クラスの殆どの女子に嫌われていた事になる(笑)

    後は2票が2人1票づつが5人。負け惜しみではなく1票でも2票でも票が入った男子が私は気の毒だと思った。

    「嫌い」に票が入った男子の名前を聞くと私を含めてどれも皆勉強の出来ない者ばかりだった。

    「好き」の方は数が割れてはいたが、クラスで勉強の出来る老舗呉服屋の息子Kが1位だったらしい。私も穏やかで勉強の出来るKならば女子達に人気があるのも解るような気がした。

    女性は子供でも社会適応能力を持ち合わせた賢い男について行く事が幸せだと言う事をこの時分から本能で察しているのだろう。

     

    私は幼い頃の事を何故か鮮明に覚えている。今月で51になるのだから、もう40年以上前の記憶なのだがくだらない事ほどよく覚えている。最近ではゴルフ場で1つ2つ前に自分が打ったボールの記憶でさえ曖昧なのに・・

    執念深いのか昔の事は何故か忘れない(笑)

    野球の練習中に悪ガキTがわざわざ耳元まで言いに来た「そいえば、おまえ好きも1票入ってたんやで」にセンターの後ろでボールが来るのを待ちながら私はぼんやりと考えていた。

    「嫌い」の15票など私にはどうでもよかったがH子は誰に「嫌い」の票を入れたのだろうか・・

    「好き」になどH子が私を選ぶはずなど無いことは解っていたが、せめてH子だけには嫌われたくないと少年はグローブを見ながら思っていた。

     

    おかしな夢を見た・・

     

     

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